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社長ブログ 2009年1月アーカイブ

順道館

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今日、幼なじみである ミッぺ のおやじさんの葬儀に行ってきた。

小学・中学時代お世話になった順道館という道場で、一緒に剣道をやってきた仲間のおやじさんだ。

ただのおやじさんではなく、当時息子二人の剣道を見ているうちに、40歳から自分でも剣道をはじめ、とうとう息子たちより早く6段をとり、指導者となって県剣道連盟から表彰をうけられたという経歴の持ち主だ。
自分たちが中学の頃、やっと素振りをはじめられたのを記憶しているが、まさかそこまで極められていたとは。

順道館といえば、昨年40周年を迎え、剣道界では名を轟かす名門道場である。おととし日本一になった警視庁の内村くんなんかも同道場の出身で、毎年必ず優秀な成績を収めている。

今から35年くらい前、自分たちの3つ上の先輩たちの頃から、毎年県大会で優勝するようになり、まさに第一次黄金期の真っただ中でやっていたわけだ。

そんな中、おやじさんは、いつも熱心に応援されていたが、夕食の時はいつも箸が竹刀になり替わり
「攻めとは・・・」といった説教が始まっていたそうだ。
自分もそうだったが、友人にとってもやったこともない親にあれこれ言われるのは、とても心外だったようで、「やったこともないのに・・・」と相手にしなかったようだ。

おやじさんは、それがよほど悔しかったようで、それから自分で竹刀を持つようになったといういことだ。

剣道は、普通のスポーツとは違い、そう簡単にはいかない。つまり子供のころから相当基本をやった上でやっと剣道らしいものができると程度で、40歳から始めるというのは、非常に稀で、さらに6段まで極めるというのは、さらに驚くべきことである。

今、その息子二人とも学校の先生で剣道を教えており、同級生であるミッぺは、鹿児島で若くして教頭になっている。さらに彼の子供二人も剣道をしているそうだ。

最近、道場関係者と会う機会が増えているのは、その頃お世話になった先生方や今日みたいな同級生の親の葬儀に出席することが多いからで、時の流れとあらためて順道館という伝統ある道場でお世話になったことのありがたさを感じている。

自分も1年半前に、子供の小学校を指導するようになり、15年ぶりに竹刀を握ったが、自分がやるというより、小学生の指導なので、本格的に体を動かしているわけではない。

今日同級生で出席したしたのは、自分と甲斐くんという当時のキャプテンでむちゃくちゃ強かった男だ。同じレギュラーでも他の4人はどこかさぼりグセがあったが、彼は全く手を抜かず、ハングリー精神をもった男で、みんな彼には頭があがらなかった。

その甲斐くんは、大学卒業後、北海道で勉強し、同じ菊池市旭志の酪農家に養子にきてがんばっている。酪農は一日も休みがない。彼の息子も剣道をしているが、試合もほどんど見に行っていないと言っていた。

その彼が、俺もだいぶ役目を果たしたし、そろそろウズウズしてきたので、春頃から剣道を始めるかなと言っていた。
自分は大学卒業後、実業団で7年くらいやっていたが、彼はもう24年くらい竹刀を握っておらず、まさか今からまた始めるとは思っていなかった。彼の場合、子供の指導ではなく、本人がやるというのだから驚きだ。

しかしながら、ミッぺのおやじさんが、40歳で一からはじめられたように、我々のような経験者であれば、体力は別にしても、感は1年もあればある程度もどるのではないかと思う。
今年は、小学生相手ではあるが、防具をつける機会を増やし、自分自身も稽古させてもらおうと思う。

自分の母体である順道館を目標に、我菊之池小学校剣道部の子供たちにもがんばってもらいたい。

順道館OB 平川

 

 

 


 

 


爺ちゃんはやっぱりスーパー爺ちゃんだった!

おととい、病院に爺ちゃんを見舞いに行ったら、ぐっすり眠っていた。

常に色んな数値がベットの横の機械に表示されており、見舞いに行くたびに、医者でもないのになんかその数字をよく見てしまう。

酸素の摂取量が90を切ると、自動的にナースステーションに連絡が行き、すぐさま看護師が対応してくれるようになっている。したがって、その数値が一番気になるのだが、その日はその数値が表示されていない。

装置が外れているのかと思ったが、よく見てみると、今まで鼻から酸素吸入をしていた管が外されているではないか。

徐々に症状が落ち着いているとはいえ、まさかここまで回復に向かっているとは・・・

びっくりと同時にやっぱスゲエーと思いつつ、椅子に座って爺ちゃんの顔を眺めていたら、15分ほどして爺ちゃんが目を覚ました。

おう来とったかとばかり、ぱっちり目を開けてくれた。酸素吸入のことを聞くと、朝風呂に入れてもらった時、管を外したら、結構大丈夫だったので、それからずっと外していると説明してくれた。

風呂に入ったということもびっくりだが、もう手のほどこしようがないように言われた爺ちゃんがまさか酸素吸入器から解放されるなんて!

そして、今日も夜見舞いに行ったがやっぱり寝ていた。

ベット横の棚に、病院の食事以外に家族が食べさせたものを記入する紙が置いてあるが、今まで固形物に近いのは、せいぜいゼリーやプリンくらいだったが、今日はシュークリームと書いてあった。

またまたびっくり。

帰る間際目を覚ましてくれ、明日何の日か知っとるねと聞くと、「うん97歳の誕生日たい」とはっきり答えてくれた。普通でさえ、寝起きで何のことかわからないのに、相変わらず頭は聡明そのもの。

今までも、社会・経済・政治などそのへんの人ではかなわないほど詳しく、我々の仕事のことや地域のことを話しても、一度も聞き返すことなく、適格な質問が帰ってきたりして、100歳間じかの人としゃべっている感覚は全くなかった。

この場に及んでも、爺ちゃんはやっぱり スーパー爺ちゃんだった。

明日の97歳の誕生日は行けないが、あさって子供を連れてお祝いに行こうと思う。

そして最近の情勢や仕事の報告をしてこよう。
きっといいアドバイスをもらえるはずだ!

熊本県菊池市 コーエイ不動産 平川

 

 

 


2009年 スタート!

明けましておめでとうございます。

昨年末からの急激な景気悪化で、多くの人が今までとは違う正月を迎えたのではないでしょうか。

我が家は、毎年大みそかと元日は熊本市内の実家で過ごし、2日に山鹿市菊鹿町の祖父の家に、親戚一同集まるというパターンでした。

祖父は97歳で、メガネ不要、補聴器不要、付添い不要で、ほとんど自給自足。戦争で足を玉が貫通したり、やけどしたりで、杖はついているものの、野菜をたくさん作っている。日用品の買い物や病院へは、自分で車を運転し、今月の免許更新もほんの3ケ月くらい前まではするつもりでいたようでした。

20年くらい前に、長年介護してきた祖母を亡くし、ずっと一人暮らしだが、毎日のように近所のおばあちゃんたちが祖父の家を訪れては、カラオケパーティー。
もちろん、祖父の家には、立派なカラオケ機器が設置されており、曲のセットから最新曲の紹介まで全部祖父がやっていました。

一言でいえば、スーパー爺ちゃんなのだ。

元気がいいだけでなく、これまでにたくさんのボランティアもやってきているため、人望が厚く、本当に見習うことの多い爺ちゃんなのです。

そんな爺ちゃんが、年末救急車で病院に運ばれ、入院しました。その2日くらい前から少し息苦しくなってきていたらしく、父や叔父が病院に連れていくと再三説得したにも関わらず、「病院には行かん。死ぬ時はこの家で死ぬ」と言い張っていたらしいのです。

非常に特殊な肺炎で、治る見込みがなく、2・3日中に亡くなる可能性もあると言われ、大みそかの夜は、両親や兄弟夫婦、叔父と一緒に我が家で待機したため、正月は初めて我が家で迎えることになりました。

最悪のことも考えて、ある程度準備までしていたが、最初病院から提案があった特殊な薬を投与した結果、ここ3日ほど元気がでてきたのです。その薬は、副作用が強く、効く可能性も2~3%程しかなく、特に怪我している足には、副作用が顕著に出るというものでした。

本人も延命治療は、一切するなと言っていたため、一旦は、投与を断りました。
ところが、病気が非常に特殊でめずらしく、主治医も大変興味をもっていて、是非その薬を使わせてほしいとのことで、万が一効くということもありますからと、投与してもらうことになったのです。

24時間酸素吸入で、食事はもちろん、飲み物さえも 最低限しか取れなかった状態から、投与から2日程でしゃべれるようになり、食欲もでてきて、昨日からおかゆを食べられるまでに回復してきました。本当にスーパー爺ちゃんなのだったのです。

今もCCUという特別な部屋に入院しているため、油断はできませんが、このまま回復してくれれば、普通の病室で16日の誕生日祝いができそうな感じです。

スーパー爺ちゃんが故に、ずっと長生きしてくれるものと思っていても、やはり年が年なので、いつ何があってもおかしくないのが現実だということを知ることになりました。

そして、そのスーパー爺ちゃんの孫であることの誇りと責任もあらためて感じているところです。

2009年は、爺ちゃんパワーを受け継ぎ、この不況を吹っ飛ばす元気でやっていきます。

どうぞよろしくお願いします。

 

熊本県菊池市 コーエイ不動産 平川


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